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8割毒親との決別に関する話。あとの2割は育児備忘録やその他雑記。('ω')

【雑記】いつもバタバタしていた母と自分が重なった時の話

こんにちは~。九月も早くも半ば、時の流れが相変わらず早すぎます。

私は現在、息子の翌年度から入る保育園の見学に連日奔走中です。

所謂 保活 です。

初めてのことだらけでドキドキと不安もあるけど、息子のためにも頑張りたいな~。はてさて、意中の園に入ることはできるのでしょうか。

そんな今日は、見学のために朝からバタバタしていたときふと、かつて実家に住んでいた時いつも見ていた母と自分が重なった、という話をゆるりと書いていきます。

今日も駄文ですが、失礼しますm(__)m

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「完璧」に見えた母

私の母は、私の目からは家事を完璧にこなしているように映っていました。

本人も家のことをやるのが好きと公言していました。

外出や出勤の予定がある日は必要以上に早く起床し(出勤は昼の11時の日に起床朝3時とか)怒涛の如く家事をこなしていました。

掃除洗濯、そして数日分の料理やその仕込み、水回りの掃除ももちろん終わらせてその上で家を出ていました。

特に人と会うときは上記の家事を一つもおろそかにせず、プラスで会う方に対し料理を何かしら作り、包んでいました。

母曰く、自分はお金がないので得意な料理を贈ることくらいしかできない…と。

その様子を20年以上横目に見ながらそれが同じようにできない私は、私自身に劣等感を抱きながら育っていました。

 

母の拘りと押し付け

母は先述のように完璧主義で特に家の中を自分流に綺麗に保っておくことを何より大事にしていました。

そのため、家の中には母の細かいルールが散りばめられ、それが悉く守れない私は10代後半になっても毎度の注意を受けていました。

例えば、「洗面所のシンク外は水滴がついたら必ず使った人がタオルで拭きそのタオルは洗濯機へ」「洗面所のタオルは二つ折りにして掛ける(グチャッとしない)」。

これらが母の基準でしっかりできてないと小言をいつも言われていました。「ちゃんとやって」と。

あまりにも何度も言われるので私は馬耳念仏になってましたが、そうなったのには理由があります。

 

結局、自分がそうしたいから強要する

私も馬鹿ではないので、母が毎度「〇〇しなさい」「ここは〇〇しないで」などしつこく言うことを何故自分は守れないのかと考えました。小学生くらいのころかな。

私の本音としては、それをしなくても最低限の衛生状態は保てるし、正直生きて行けるじゃん、といったところ。

では、必要性も感じないのでやらない私にそこまで何故強要するのか?

それは、「母自身がやってほしいから。」でした。

 

何故母は必要以上の労力をかけて贈り物を作っていたのか

そこでこの、贈り物(料理)の話になるのですが、

母が必要以上にバタバタしながら人にあげるための料理を作っていたことも「母がそうしたいから」です。

何故そうしたいのか。何故忙しい中でどこかで買ったちょっとしたお菓子とかではなく手作りにこだわったのか。

それは母が「心からの贈り物をアナタにしています」という思いのこもった彼女なりのやり方であり、

同時に、それくらい相手に一生懸命尽くしている私、を相手に見て欲しいという彼女の欲望だったんじゃないかと、私は考察しています。

こう書くと私が邪推しているように聞こえてしまうかもしれませんが…

前の記事でも書きましたが、私の母の料理は正直、超おいしい!というレベルでは到底なく、独特の味付けが多いです。人によってはおいしいと思わない人もいるかも。

そのような独りよがりの料理を相手に押し付けるのはどうなんだ、と正直私は思ってしまいます。

私だったら聞いたことある自分じゃ買わない、貰ったらうれしいお菓子とかをサーチして買っていきます。

 

自分に母が被った瞬間

話を戻して、園の見学に合わせ急いで用意をする私。

今日は特に忙しく、息子の離乳食/ミルク/着替え/排泄処理/ペットの排泄処理と同時並行で、突然在宅勤務になった夫の食事を作ることになりました。

作ることになりました、とありますが頼まれたわけもなく慣習です。(夫在宅の時は私が昼食を作っていたのですが、園見学からの帰宅の時間に昼食作成が間に合わないため朝作るしかなかった。)

今日に限って息子は離乳食グズグズで…正直イライラしながら急いでいた時に、ふと自分に重なったのです。

必要以上にやることを詰め込み時間に追われながら慌ただしく動く母が。

 

冷静になると、

こんな状況(園の見学で忙しい&息子離乳食グズグズ)で夫の食事まで作るなんて無理な時間しか残されていなかった。

それなのに始めてしまって、結果イライラしている。

私の場合は「今は育休中で夫のご飯くらい作らないとサボってると思われそうだから、ちゃんとやってると思ってもらわないと」という思いがこの行動の理由でした。

 

同時に、上記の母の、他人に対し「私は尽くしている人間だ」と見て欲しいという原動力に気づきました。

 

他人に期待しない、自分が変わる

当たり前だけど、相手に期待したり「こうしてほしい」といっても自分が満足する結果が得られることは少ない。

もしそこで満足する結果が出ても、調子に乗って相手にまた期待して、その相手を余計苦しめることになる。

なんで対人関係においてこんな当たり前のことが、親子関係では通用しないんだろう。

子供が頑張ったら、結果はもちろんだけど、過程を褒めてほしい。

見てたよ、頑張ってたね、すごいね。なんでこれだけのことが言えないんだろう。そういう視点が持てなかったんだろう。

私は、自分の子供に同じ過ちをしたくない。自分の中にまだいる幼い頃の自分を大事にして自分を制していくしかない、と日々痛感しています。